鶏係と畑係
2021年の秋の托鉢を終え、これから最後の作務を控え、
先月の10月6日で安泰寺に上山してから丸2年がった。
私自身の今年度の中で一番の大きな出来事はやはり得度をして僧侶
安泰寺には去年の春からNHKの取材が1年間取材に来ていた。
『恵光堂長の答えは、先の事を考えている事、
と言うことで結果その時の出家得度はなくなったのである。
そして春が来て作務が始まり、慌ただしい日々が始まった。
今年は私は鶏係と畑係を担当する事になった。
目の前の作務を必死にやるように心がけた。
今ここの現実を生きる修行を実践しようと努力した。
あれは確か何月頃だったろうか、
結果から言うと3回試して全部失敗したのだ。
1番最初の失敗は親鶏達が15個位卵を産んで
去年卵を孵化させた雌鶏がだき始めた。
そして他の2羽も加わり計3羽で卵を温めて始めた。
そして約一ヵ月経っても卵が孵らない事を不審に思い無理やり親鶏
目の前の光景に愕然としてしまった!
15個あるはずの卵が3個しかなくなっていたのだ。
次こそはと思った。
そして2回目のチャレンジがやってきた
順調に雌鶏達が卵を産み、10個位になった時に1羽の雌鶏が卵を
鶏は卵を温め始めても最初は温めたり、
そして雌鶏が安定して卵を温め始めたタイミングで雌鶏1羽残して
そうしたらどうした事か安定して卵を温め始めていた雌が他の6羽
7羽一緒にいても卵を食べてしまう、
そしてもう一度チャレンジしてみた。雌鶏を1番落ち着きそうな外
親鶏と他の6羽とを別にしてみた。
やはり結果は一緒で仲間達と離れた雌鶏は卵を温めなかったのであ
そして私は『はっ!』としてしまったのである。
鶏を増やして卵多くを産ませて食べたいのも
人間の私のエゴ
去年より多く鶏を孵して満足したいのも人間の私のエゴ。
かなりのスケベ根性と作為があったのだ。
当の鶏達は純粋に自然の摂理によって春が来て暖かくなってきたら
私が鶏に対して行った行為や思い、思惑が
自分の子供達に対して行って来た行為や思い考え方と重なってしま
ショクだった。子供達を愛してる。
そしていつかは一緒に暮らしたいと思っていた。
そう思うと、
子供達を愛してる。大切に思っている。
それは紛れもなく本当の気持ちである。
しかしその思いから結果的には今いる子供達の環境が変わる事、
自分の思いが強ければ強いほど子供達を大切にしていると言う事と
子供達が母と離れる事。住み慣れた環境を離れる事。
どんな環境にいても子供達は母親が好きなものなのだ。
私は自分の愚かな考えを鶏との出来事で痛感させられたのである。
それ以来、子供達や元嫁に対する気持ちに変化が出てきのである。
その日を境に子供達に対する気持ちが変わった。
私がいなくてもちゃんと子供達は良い子に育ってくれてる、
そう思えてからまた少しずつ僧侶になる事を
意識し始めた。
今年の7月頃私のルームメイトでフランス人のクレモンが僧侶にな
そしてクレモンから高橋はお坊さんにならないのか?
その時の私はまだ僧侶になる事を決めかねていて先の事はどうする
しかしある朝、
何を作っていたか覚えてないのだが、
畑係になった私は胡瓜を種から、
その胡瓜が最盛期を終え、終わりを迎えようとしていたのだ。
今年の胡瓜ももう終わりだなーと思った時に
その胡瓜と自分が重なって見えてしまったのだ。
そう思うと悲しくてやり切れない気持ちになってしまったのだ。
自分の命を使い切る。どう生きれば命を使い切れるか、
私の勝手な思い込みかもしれないがそんな出来事がきっかけで私は
今の私の人生とは全く真逆の道かもしれないが一瞬一瞬の些細に思